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大阪地方裁判所 昭和59年(行ウ)63号 判決

原告

甲野一子

右訴訟代理人弁護士

津留崎直美

同弁護士

吉岡良治

同弁護士

岩永恵子

被告

地方公務員災害補償基金大阪府支部長 岸昌

右訴訟代理人弁護士

今泉純一

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一申立

一  原告

1  被告が地方公務員災害補償法に基づき原告に対しなした昭和五三年九月四日付公務外認定処分を取消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

主文と同旨

第二主張

一  原告の請求原因

1  原告は昭和四九年四月大阪府職員に採用され府立身体障害者福祉センターにおいて職業指導員として勤務しているが、同五三年二月一日業務に従事中、通路の鉄製手すりで背中を強打して倒れ受傷し(以下、第一事故という)、脊髄振盪及び脊髄損傷と診断された。

被告は地方公務員災害補償法に基づき第一事故を同五三年三月一一日付で公務上災害(但し、療養の範囲は急性症状の消退するまでの間とする)と認定した。

2(1)  原告は同五三年七月一九日午後七時頃自宅浴室のタイル床に転倒し、第一事故の受傷部位を再び強打して受傷し、脊髄損傷と診断された(以下、本件事故或いは本件傷害という)。

(2)  原告は同五三年八月三日被告に対し本件事故が公務により生じたものであることの認定を請求したが、被告は同年九月四日公務外災害と認定する旨の決定(以下、本件処分という)をした。原告は、地方公務員災害補償基金大阪府支部審査会に対し審査請求をしたが同五七年五月二八日棄却され、地方公務員災害補償基金審査会に再審査請求をしたが同五九年三月二一日棄却され、同年四月四日右裁決の送達を受けた。

3  本件事故は原告の公務に起因する。

(1) 原告は、第一事故当日(同五三年二月一日)大阪府立身体障害者福祉センター付属病院(医師東隆)において脊髄振盪と診断され入院治療を続けたが、同月一〇日頃未だ十分回復していないのに退院勧告をされたため、同月一四日耳原総合病院(医師赤星伸一)に転医し受診したところ脊髄損傷と診断され、同院において、同月一六日から同年四月二二日まで入院治療、その後通院治療を受け、同年五月一〇日症状は一応固定したと診断された。

(2) 原告の第一事故による受傷は脊髄振盪ではなく脊髄損傷であり、完全な治癒はあり得ない。原告は症状固定とされた同年五月一〇日において尚腰部以下の異常感覚、両膝以下(特に左下肢)の知覚鈍麻、強い痙性、筋力不十分等の麻痺的症状を残し、歩行障害を生じていた。しかし、右症状は一応安定し悪化の恐れはなく、且つ、原告が職場復帰を希望し、そのためには症状固定とする必要があったこと等の理由により、同日をもって原告の症状は一応固定したとされたが、原告はその後も医師の指示により予後の観察及び症状改善のための治療及びリハビリテーションを受けるため二週間に一度の割合で同院に通院していた。従って、右症状固定とは第一事故(脊髄損傷)によって発現した急性症状の消退を意味するにすぎないし、被告が第一事故についてなした公務災害認定も同趣旨と解すべきである。

(3) 原告は同月一日職場に復帰し、当初は半日、同月一〇日から全日就労した。原告は前記のとおり歩行困難であったため通勤は父親が送迎し、また、初めて杖を用いるようになった。父親は米子から来阪して原告と同居し、家事を行い、原告の介助に当たっていた。

(4) 耳原総合病院医師は原告が職場復帰するに際し原告の上司に対し、原告は尚通院治療が必要なこと、原告の就業時間は段階的に増やし休息を十分与えること、事情に応じ車椅子の使用を考慮すること等を要望した。しかし、原告の通常業務は軽減されないばかりか結婚退所する寮生への指導、助言が加わり、原告の業務は以前にも増して過重となり、クーラーのない職場環境ともあいまって、原告の疲労は次第に蓄積していった。

(5) かくて、原告の疲労は本件事故当日その極に達していた。原告は浴槽の上から桶を取ろうとして腰をかがめたところ、第一事故によって生じていた下半身の麻痺的症状と業務による疲労のためバランスを失って転倒し、第一事故の受傷部位を再び強打して脊髄損傷を受け、第一事故によって生じ、持続していた症状が更に悪化した。

(6) 以上の事実によると、本件事故は原告の勤務時間外に発生したが入浴は日常生活に不可欠な行為であること、原告は本件事故発生の際第一事故による受傷の治療を続けていたこと、本件事故は原告が第一事故によって受けた下半身の麻痺的症状が直接の原因となって発生したこと、本件傷害により第一事故の受傷部位の症状が悪化したこと、本件事故は原告の職場復帰後の過重な業務も一因となって発生したことが明らかである。

従って、本件事故は、公務災害である第一事故との間に相当因果関係があり、且つ、原告の過重な業務も一因となって発生したのであるから、原告の公務に起因するものと言わねばならない。

4  よって、原告は被告に対し本件処分の取消を求める。

二  被告の認否と主張

1  請求原因1、2は認める(但し、裁決の送達日は不知)。

2  同3冒頭の主張は争う。

(1) 同3(1)のうち、原告が大阪府立身体障害者福祉センター付属病院において脊髄振盪と診断されたこと、耳原総合病院において脊髄損傷と診断され、同五三年五月一〇日症状固定と診断されたことは認めるが、その余は不知。

(2) 同(2)のうち、原告の脊髄損傷が第一事故のみによって惹起されたこと、原告の症状固定日における症状が第一事故に起因すること、右症状固定が第一事故によって発現した急性症状の消退のみを意味すること及び被告が第一事故についてなした公務災害認定も同趣旨であることは否認し、その余は不知。

(3) 同(3)のうち、原告が同年五月一日職場に復帰し、当初は半日、同月一〇日から全日就労したことは認めるが、その余は不知。

(4) 同(4)のうち、原告の復職後の業務が従来以上に過重となり、そのため原告の疲労が次第に蓄積していったことは否認し、その余は不知。

(5) 同(5)のうち、本件事故の発生は認めるが、その態様の詳細は不知、本件事故の発生原因及び本件事故のため第一事故による受傷の症状が悪化したことは否認する。

(6) 同(6)は争う。

3  本件事故と原告の公務との間に相当因果関係はない。

(1) 原告は第一事故発生前からレックリングハウゼン病(以下、レックリング病という)に罹患していた。

レックリング病は全身の皮膚に多発する特殊な腫瘍性疾患で、末梢神経部に発症すると硬い腫瘤として触れ疼痛があり、神経根に発生すると神経痛様疼痛を生じ、中枢神経系すなわち頸、胸部脊髄根に発生すると脊髄を圧迫してブラウン・セカール麻痺その他の圧迫性脊髄症状を招き、圧迫部(損傷部)以下の運動麻痺、知覚障害、腱反射の異常等をもたらす。また、レックリング病は腫瘍による骨の浸食破壊や骨変形(脊柱側彎症を合併することもある)を生じ、脊柱彎曲の場合、脊柱管が狭められ脊髄神経の圧迫、損傷による神経障害を招くことがある。レックリング病の症状は緩慢に進行し予後は不良であって、対症療法以外に適切な治療法はない。

原告は生後間もなく、レックリング病により左腕皮膚に増殖性病変を生じ、一〇才から突背になり、同五二年五月二四日の時点で、左Ⅱ、Ⅲ指の痺れ、左手に力が入りにくい、スリッパが履きにくい、四肢反射亢進、継ぎ足歩行では動揺がある、尿失禁をする等中枢神経系(脊椎)の器質的病変を推定させる愁訴及び臨床所見を呈していた。また、原告の脊柱は胸椎部分で前方に九〇度、右凸に一八〇度彎曲しているが、右はレックリング病に起因すると考えられる(他の病因を肯定すべき検査所見はない)。

これらの事実によると、原告は第一事故発生前レックリング病及び同疾病による高度の脊柱彎曲のため、胸椎以下の部分において脊髄神経圧迫に基づく神経障害症状を呈し、且つ、右症状は進行中であったことが明らかである。

(2) 第一事故は原告が鉄製手すりをくぐり抜ける際背中を打撲したというものであり(健常人において脊髄損傷を招くことはあり得ない)、レントゲン写真によっても原告の脊椎に骨折像は認められなかったこと等によると、原告は第一事故によって新たに器質的変化を伴う脊髄損傷を受けたとは考えられない。従って、第一事故後原告に発現した症状は基礎疾患であるレックリング病による既往症状の急性的増悪にすぎず、しかも右急性症状は同五三年五月三一日までに消退したのであって、同日においてみられた原告の症状は第一事故によって生じたものではなく基礎疾患であるレックリング病及び脊柱彎曲症によって生じていたものであり、そのため、原告は同日以降も治療を継続していた。

(3) 本件事故はそもそも原告の公務と無関係である。のみならず、被告に本件事故の態様は詳らかでないが、健常者においても入浴の際不注意から浴室のタイル床で転倒することは起こり得る。

若し仮に、原告の主張するように本件事故が原告の脊髄損傷による諸症状が原因となって発生したとしても、右症状は主として原告の基礎疾患であるレックリング病及び脊柱彎曲症に起因するのであり、第一事故による症状の継続または症状固定後の再発とみる余地はない。また仮に、右症状に第一事故の後遺症が含まれているとしても、それが本件事故発生の相対的に有力な原因であったとは言えない。してみると、本件事故と第一事故の間に相当因果関係はない。加えて、地方公務員災害補償法が行う公務災害補償は後遺障害に起因して新たに生じた災害にまで当然に及ぶものではないから、第一事故が公務災害であり、その後遺症によって本件事故が発生したとしても本件事故が当然公務災害になる訳ではない(原告において第一事故の後遺症補償を請求し得ることがあるに止まる)。そして、原告の第一事故後の公務が右症状の増悪に寄与したと認めるべき事跡もない。従って、何れにしても本件事故と原告の公務との間に相当因果関係はない。

4  従って、本件事故と原告の公務の間に相当因果関係はないから、本件処分は正当である。

よって、原告の請求は理由がない。

三  原告の反論

1  本件事故は、前記のとおり、第一事故による脊髄損傷が原因となって惹起したのであり、本件傷害は原告のレックリング病及び脊柱彎曲症の進行のみによって生じたものではない。仮に、原告のレックリング病及び脊柱彎曲症が本件事故発生の原因に係わっているとしても、その関与は極めて微弱であり、本件事故と第一事故との相当因果関係を否定し得るものではない。

2  原告は第一事故前レックリング病及び脊柱彎曲症による神経障害を生じていなかった。即ち、原告は小学五年頃脊柱彎曲となったが機能障害はなく、同五二年五月ミエログラム検査によっても頸椎における脊髄圧迫の病変はみられず、日常生活においても何ら神経障害の状況になかった。元来、レックリング病が脊柱彎曲症及びこれに基づく神経障害を惹起する確率は極めて低い。ところが、原告は第一事故後極めて急激、瞬時に歩行障害を生じたのであり、このことからすると、原告が第一事故によって脊髄損傷を受けたことは明らかである。そして、第一事故後、原告のレックリング病及び脊柱彎曲症が第一事故と無関係に急激に進行したと認めるべき何らの根拠もない。

3  第一事故における症状固定は右脊髄損傷によって発現した急性症状の消退を意味するに止まり、原告が第一事故前の身体状況に回復したことを言うのではない。原告がその後も第一事故による脊髄損傷の治療を受けていたことはまぎれもない事実である。本件事故は、原告が第一事故の療養中、正に第一事故によってもたらされた歩行障害に起因して発生したのである。従って、本件事故と第一事故の間には相当因果関係がある。

第三証拠(略)

理由

一  請求原因1、2は当事者間に争いがない(弁論の全趣旨によると、原告は昭和五九年四月四日地方公務員災害補償基金審査会裁決の送達を受けたと認められる)。

二  そこで、本件事故の公務起因性について判断する。

1  原告は、本件事故は、原告が第一事故の療養中第一事故によってもたらされた下半身の麻痺的症状が原因となって惹起されたと主張するので検討する。

(1)〈1〉  (証拠略)、原告本人尋問の結果によると、原告(同二八年一月二六日生)は、生後間もなく左腕皮膚に増殖性病変を生じ、一〇才から突背になり、鳥取大学付属病院、皆生国立病院等で診察を受けたが確定診断は得られず、同四八年にいたり大阪住友病院において左手腫瘍の一部切除を受けた際、神経線維腫と診断され、大阪北野病院においてレックリング病と診断されたこと、証人東隆の証言によって第一事故直後における原告の胸背部のレントゲン写真であると認められる(証拠略)、同証言によると、原告の脊柱は胸椎部分で前方に九〇度、右凸に一八〇度彎曲していることが認められる。

〈2〉  (証拠略)、弁論の全趣旨によると、レックリング病は全身の皮膚に多発する特殊な腫瘍性疾患で、末梢神経部に発症すると硬い腫瘤として触れ疼痛があり、神経根に発生すると神経痛様疼痛を生じ、中枢神経系すなわち頸部、胸部脊髄根に発生すると脊髄を圧迫してブラウン・セカール麻痺その他の圧迫性脊髄症状を生じ、圧迫(損傷)部以下の運動麻痺、知覚障害、腱反射の異常等をもたらし、また、レックリング病は腫瘍による骨の浸食破壊や骨変形を生じ、脊柱側彎症を併発した場合、脊柱管が狭められ脊髄神経の圧迫、損傷による神経障害を招くことがあること、一般にレックリング病の進行は緩慢であるが、二〇才前後の成長期において急激且つ著しく進行する症例もあることが認められる。

〈3〉  (証拠略)、原告本人尋問の結果(但し、一部)によると、原告は同五二年五月二四日左Ⅱ、Ⅲ指の痺れ、左手に力が入らない、尿失禁することがある等の自覚症状により耳原総合病院神経内科(医師赤星伸一ら)の診察を受け、同五三年一月一〇日尚薬物治療を継続していたこと、その間原告の愁訴は続き、主たるものは右症状の他、歩行障害、履いているスリッパがよく脱げる、足がわからない、背中、首筋、胸が痛い、腰以下の痺れ、腰痛、左手の痺れ、物をよく落とす等であったこと、同病院は同五二年五月原告の頸部レントゲン撮影により第二、第三頸椎間に欠損像を認めたので、同部位に神経線維腫が発症していることを疑い、同年六月二二日原告に対し頸椎域における脊髄障害の有無を確かめるため後頭窩穿刺によるミエログラム検査を行ったが著変を認めなかったこと(脊柱彎曲のため腰部から造影剤を注入することができなかったため、胸椎以下の状況は十分には把握できない)が認められる。

(証拠略)、医師赤星伸一作成の意見書、証人赤星の証言によると、初診時における同病院の原告に対する神経学的臨床所見は四肢腱反射亢進、但し、病的反射及び知覚障害はなく、筋力はほぼ正常、継ぎ足歩行で動揺はあるが独歩可というものであり、右症状の一部は次第に軽快した、また、原告の脊柱彎曲はくる病によるものであるというのであるが、右認定事実、〈1〉、〈2〉の事実、証人東、同高柳の各証言、鑑定人高柳哲也の鑑定結果によると、原告の脊柱彎曲はレックリング病によるものと認むべきこと、原告の脊柱変形は高度であり、脊髄及び神経根の圧迫により脊髄損傷を招き各種の神経症候を生じ得ること、脊柱変形による神経症状は二〇才前後の成長期において発現する症例が多く、進行性のものもあること、原告の神経障害は軽微に推移してきたが、耳原総合病院で診察を受けた時点では、錐体路障害、反射亢進、排尿障害、下肢筋力低下等の症状が発現し始めており、原告の脊髄の病変を認めるに足ること、右症状は脊柱固定術、外科的手術による病巣の除去以外に的確な治療方法はなく、緩徐進行型であることが認められ、右意見書、証人赤星の証言は採用できない。

そして、第一事故発生前、原告に何らの神経障害もなかったという証人佐々木及び原告の各供述は措信することがでない。

〈4〉  (証拠略)、原告本人尋問の結果によると、原告は、同五三年二月一日第一事故の際、突背部を強打して転倒し胸部も打撲し、両下肢の感覚麻痺、運動麻痺を生じたが、約一五分後には軽度の痺れ感を残して右症状は消退したこと、原告は直ちに担架にて大阪府立身体障害者福祉センター付属病院整形外科(医師東隆)に運ばれ入院したこと、東医師による初診の臨床所見は、原告の突背部の著明な圧痛、両下肢の筋力の低下(但し、自動的な運動は可能)を認めたが、知覚異常を認めず、レントゲン写真に原告突背部の骨折像を認めなかったというものであること、原告には入院翌日第一一胸椎以下の知覚鈍麻があり、また、バビンスキー検査の結果、中枢神経系の異常が疑われたこと、その後、原告は、胸背部痛、両下肢の痺れ感等は持続したが著変はなく、同月六日にはベッドの上で自由に体位交換することができ、介助なしに歩行もできるようになったため、東医師は第一事故によって直接発現した症状は消退し、持続する神経症状はレックリング病によるものと判断し、同月七日原告に退院を勧めたが、原告が両下肢特に右下肢の痺れ感を訴えたため退院を延期し、同月九日原告は耳原総合病院に転医するため退院したこと、東医師は原告の第一事故による受傷を脊髄振盪と診断したことが認められる。

しかしながら、証人東、同高柳、同赤星の各証言、前記鑑定結果によると、原告のように高度の脊柱彎曲により脊髄に病変を生じている場合には軽微な外力によっても脊髄損傷を招くことがあると認められるから、原告の右受傷は脊髄振盪に止まらず圧迫性脊髄損傷であったと認めるのが相当である。

〈5〉  (証拠略)、原告本人尋問の結果(但し、一部)によると、原告は同月一四日耳原総合病院にて受診し、同月一六日入院したこと、原告の主訴は長距離の歩行、階段の昇降が不安定であるというものであり、同院の診断は脊髄損傷(不完全)、臨床所見は胸椎の知覚異常及び触覚低下、第一腰椎以下の知覚鈍麻、バビンスキー検査右陰性、左陽性の疑、両下肢の筋力低下(ダニエル徒手筋力検査二~三)であったため、原告はリハビリテーション及び諸検査を受けるため入院し(原告は独歩で入院した)、器械器具を用いた機能訓練、変形徒手矯正術を受けたこと、原告は入院後も腰椎以下及び両下肢の痺れ感等の症状の他、排便障害(下剤を用い、失禁したこともある)をも訴え続け、知覚障害は改善されつつあったが、同年三月下旬において神経学的検査の結果第二腰椎以下で軽度の、第四腰椎以下で中等度の知覚低下を示していたこと、原告は、右下肢はほぼ正常に復したが左下肢に知覚鈍麻、筋力低下(ダニエル徒手筋力検査三~四)があり、院内で歩行中転倒したこともあるが外出することもあったこと、原告は、右症状に著変がなく経過したため、同年四月二二日同院を退院したこと、原告は入院中レックリング病の症状である左手皮膚の過剰反応を示し、手術が検討されたが結局行われなかったこと、原告は同年五月九日、同月二三日、同年六月八日、同月二七日、同年七月一一日同院に通院し、薬物の投与、リハビリテーションを受けたが、左下肢の知覚鈍麻による歩行障害は一進一退を続け、尿失禁はしなくなったこと、赤星医師は同年五月一〇日原告の症状は一応固定したと診断し、今後は原告の機能維持及び少しでも症状を改善するためリハビリテーションを継続することを決めたことが認められる。

右認定に反する(証拠略)中、医師赤星伸一作成の意見書、証人赤星の証言、原告本人尋問の結果は採用することができない。

また、原告は、赤星医師による右症状固定の診断は原告が職場に復帰するため便宜に行われたにすぎないと主張するが、右認定事実に照らし採用できない。

(2)  右認定事実、証人高柳の証言及び前記鑑定の結果を総合すると、原告は第一事故の八か月前からレックリング病による高度の脊柱彎曲に起因する歩行障害を訴え、医師の所見によっても錐体路障害、反射亢進、排尿障害、下肢筋力低下等、比較的軽度ではあるが原告の脊髄の病変を窺わしめる兆候が発現し、且つ、右症状は緩やかながらも進行していたと目されること、第一事故による圧迫性脊髄損傷に伴う急性症状は約十日間で消退し、再発しなかったこと、右急性症状消退後原告に残存した諸症状はレックリング病によって生じた高度の脊柱彎曲症の自然の進行によっても起こり得ること、レックリング病が脊柱彎曲症等を合併している場合自然の経過によっても急速に機能障害が増悪する症例があり、原告においても第一事故後緩徐ながらもレックリング病の進行に伴う神経障害が蓄積していったと考えるべきこと、それ故、原告の第一事故後の症状は第一事故による圧迫性脊髄障害とレックリング病の進行に伴う神経障害が複雑に混在していることが認められる。そうすると、原告の、第一事故による急性症状消退後の諸症状なかんずく両下肢の筋力低下、知覚鈍麻が第一事故のみに起因し、或いは第一事故が相対的に有力な要因になっていると断じることは困難である。

従って、本件事故が第一事故後原告に存在した両下肢の筋力低下、知覚鈍麻が原因となって起きたとしても、本件事故と第一事故の間に相当因果関係を認めることはできない。

(3)  よって、原告の右主張を前提とする本件事故の公務起因性を認めることはできない。

2  原告は、原告が職場復帰した後の業務が過重であったため極度に疲労し、それが原因となって本件事故が発生したと主張するので検討する。

(証拠略)、原告本人尋問の結果(但し、一部)によると、原告は大阪府立身体障害者福祉センターにおいて職業指導員として勤務し、入所者に対し主にタイプ印刷、活版印刷の作業指導を行なっていること、原告は同五三年五月一日自らの希望で職場に復帰し、同月九日まで半日勤務、翌一〇日から全日勤務を始めたこと、原告の勤務時間は平日九時一五分から一七時三〇分まで(休憩時間一時間二五分)、土曜日九時一五分から一二時四五分までであり、復職後特に長時間の時間外勤務はしていないこと、原告は当初杖を用いて通勤し、後に父親の自転車に乗せられて通勤し、自宅にあっては父親の介助を受けて生活していたこと、原告は前記1(1)〈5〉のような身体的悪条件の下で稼働し続け、暑さも日ごとに募ったため疲労は増大したが、業務内容及び業務量は第一事故前に比べて特に過酷、過重ではなかったことが認められ、右認定に反する証人佐々木、同松葉及び原告本人の各供述は措信できない。

右事実によると、本件事故は原告の過重な業務が有力な原因となって発生したと認めることはできない。

3  以上の認定、説示によると、本件事故は、第一事故及び過重な業務が競合して有力な原因となって発生したと認めることも困難である。

その他、本件事故が原告の公務に起因して発生したと認めるに足る証拠はない。

三  よって、原告の請求を棄却することとし、民訴法八九条(行訴法七条)により主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 蒲原範明 裁判官 土屋哲夫 裁判官 大竹昭彦)

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